反省会ひとり

marumo552009-09-05

 大連や北京を車で移動するたびに、なつかしい気持ちになる。それは、日本で東名高速や中央高速ができたての頃の、まだ部分的な舗装や車線もあいまいなままの両側通行をぶっとぶ車の感覚。やたらとクラクションをならす感覚。窓を空けて走れば猛烈な排気ガスで顔が真っ黒になる感覚。狭い道でも、トラックが前にいれば荒業を使ってでも反対車線から強引に追い越す感覚。
 一方、障害者支援という内容についても同行した関係者などからも、しきりと自分たちが暗中模索で障害者支援(当時でいえば療育か)を始めて、色々な専門家から話を聞いたり、夜遅くまで検討会を開いたりした、あの頃の活気を思いだす、云々。
 
 確かに、様々な状況が、中国では日本のあの頃に似ている、ということは事実でありましょう。しかしこれは要注意の発想でもあります。自分たちがあの頃、求めていたものはああだったのだから、中国もこうであろう。タイムマシンの未来からやってきた人間を、きどって上から目線で「指導」する。何せ、中国の人たちの客を迎える熱烈歓迎ぶりは、われわれにそうした勘違いを起こさせるに充分な理由にもなるくらいのものです。

 しかし、個人的体験のレベルを主として、支援の内容も「自分なりに」のものを披露していくのは、対人援助の作業としては、極めてあぶないパターナリズムとなりかねません。日本でも現在足りない部分や、現在、実現しなくてはならない課題が、なぜ歴史の中で今日に至るまで残ってしまったのか。みずからの支援の歴史を、それこそ「再帰的」に総括した上で、始めてよそ様の国でも、必要な意見表明ができるというものです。

 単に、少し先に経験したことを、そのまま次に伝えようとすることは、個人的経験のレベルでの「思い込み」を、ロジック抜きに、伝達することになってしまい、それはそもそも対人援助の本来の作業からははずれるものになるでしょう。また逆に、いま先方が切実に求めるその内容をそっくり受け取り、個別に対応していくことが良いとも限りません。なぜこの社会構造の中で、この立場の人がそのようなものを求めるか、という文脈的な考慮というもの抜きには、われわれが踏んだ「回り道」を再び再現することになりかねません。
 もちろん中国の人たちは、ずっとしたたかで、必要なものを必要(以上)なだけ取り込まれると思いますが。

 

 写真は、万里の長城からの風景。5年前にきたときは杖をついて登ったんでした。毎度、「防人のうた」が思い出されます。