バリアフリーのための心理学(1のコメントとその2資料)

marumo552009-10-04


 バリアフリーのための心理学に関して。電動車椅子、復活しました。写真にあるとおり、電動と手動の切り替えスイッチが、手動になってました。去年も最初それで動かなかったような。空気入れなきゃ。

 はやばやと第二回目のレジュメをアップしました。第一回目の不動電動車椅子にこだわって「車椅子特集」です。
http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/09BF2.ppt
http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/09BF2.pdf

 第一回目のコミュニケーションペーパーの記入、短時間にありがとうございました。やっと全部に目を通しました。
 バリアフリーを「傲慢」と捉える、という(ま、そうはっきり言ったわけでもないつもりなんですが)ことについて、スロープがなきゃ、そりゃ困るだろというご指摘その通りです。傲慢の意味についてはまた後日。

 援助は、本当のところ「聞いてみなくちゃわからない」ということについては、だからといって、日常では、とくに援助を遠慮することはないと思います。「高齢者にバスで席を譲る」という行為における「席、譲ると言ったら、かえって気を悪くするのでは?」といった、ためらいにも似てますよね。聞いてみなきゃ、という方針だと、「座席に座りますか?」と質問すべきでは、とか、究極には高齢者(当事者)が「席を譲ってくれませんか?」と意思表明したほうがいいのでは、という議論もあるかも知れません。これは実際なかなか両者ともにバリア高いですよね。この問題は未決。

 「行動的QOLは選択肢の数ということであったが、やりたい事は増えてもやりたい事ができないのでは生活の質があがったとはいえない。」その通りです。「潜在的可能性」として「できるはず」の「準備」が整うことと、当事者が実際に実行しているかは別の話です。リハビリテーションのテストバッテリーに「一人で買い物ができますか?」みたいな項目があったとして、「はい、その能力はあります。その機会も設けています」という回答方法もありますが、能力や機会はなく、「はい、週に×回、買い物に出かけています」という行動的事実が重要です。

 「祖母が入っている施設に行ったとき、祖母は人付き合いがあまり好きでなく、施設側が色々考えて行う、習字とか歌を歌うとかみんなで集まってすることにほとんど参加しないという話を聞いたが、それに参加しないことが祖母の希望なら、それをかなえてあげることが祖母にとって良いのか、今日の授業を聞いても結論が出なかった」。はい。私の母についても全く同様の悩みがあります。簡単に「参加しない選択をみとめてます」って職員の人に簡単に割り切られても困るし、「強引に参加してもらってます」っていうのも困るし。基本は、もちろん提案された行動選択肢の「否定」(前期、応用行動分析など参照)の機会は必要なのですが、やはりでは既存の選択肢「ではない何か」をその個人のために用意する、ということについて常に考えて欲しいですよね。お習字か、なつかしの演歌大会か、ラジオ体操って、ま、最大公約数なんでしょうが。

 視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる)」に関わって、欠格条項撤廃や「特別受験」にからんで、「鉛筆を好みで選べるように、点字が音声受験か選べるように、DAISYは文房具と同じツールのひとつと認められるように、社会が認識する日がくればいいなあ・・」。その通りですね。

 この授業を聞いて「援助とはむずかしい」っていう感想が出てくる多いんですけど、日常的なレベルにおいては、ともかく「手を出して」いいですから。「バリアフリーのための心理学」は、「障害のある人をどう助けなくてはいけないか」ではなくて(もちろん結果的にはそれぞれの態度に影響は出るかも知れませんが)、せっかくの「むずかしい」と感じたその、とまどいとか、疑問などを自分なりに整理してもらうということが、とりあえず大切かと。こうした話は、昨年の授業に対する記事として、このブログでも何回も取り上げてますのでよろしく。