先端研の授業とアイロン台

marumo552009-10-24

 金曜日(10/23)に、先端研の「リサーチ・マネジメント」という授業に、ゲストで「心理学と研究倫理」というタイトルで講義させてもらいました。いやあ、たまにこういう形の発表するのって非常に勉強になるなあ。これまで文学部(1回生、2回生)でも応用人間(M1向け)では、正面からオーソドックスに「研究倫理の解説授業」をしてきましたが、今回の授業では先端の院生のみなさんに加えて、松原先生と天田先生の両先生もついてくれているということもあり、個人史こみの研究倫理について語らせていただきました。みなさま有り難うございました。

 異なる言語環境に身をさらす、という自分が学部学生や院生の頃は積極的にやってきた行為を、最近はとんとやってなくて、せいぜいが領域の違う人が審査委員をしているファンドのプレゼンをするばかりだったので、今回、改めて、自らのリサーチ・マネジメント行動を反省したり、内容そのものについても、両先生と院生諸君の質問やコメントのおかげで大変勉強になりました。

 対人援助に関わる作業(援助、援護、教授)の中で、一番大変なのが「援護」だ、といった話はこれまでにも繰り返し書いてきましたが、このことは、言うまでもなく「研究倫理」におけるインフォームト・コンセントや結果の公表に関する問題と本来、深く関わるものです。今回の授業でも院生諸君から出されてきた課題も、そのへんに集中しましたね。このあたりについて、「研究倫理」こそがその問題にも対応できる装置という風に安直に捉えてきたところがありますが、そうは簡単ではない、といったこと、松原先生や天田先生のコメントからも学ばせてもらいました。正直に言って、研究倫理そのものやIRBが「援護作業」のひとつのツールになる、という発想(極端にいうと、自らの研究のお墨付きを組織からもらう)があったのは事実です。それ以前やそれ以外の戦略(手練・手管)との峻別を進めるべきなのか(もちろん、これが真っ当な道ではあるとは思います)、それらをむしろ等価な作業として進められるようなロジックがたてられないか(まだ未練)。後者は、ゼミ内で指導教員(自分)が、価値観まぜこぜで学生に「そんな事をやってはいけない」とか「やってしまえ」みたいな、研究倫理の諸々を(授業でも紹介した援助者としての奢りを隠蔽・正当化するような)「運動的」な方向になってしまうのか。

 
 写真は、最近、購買したアイロン台。脚が長く「高い位置で作業できる」(かつ安価な)ものをやっと見つけました。洗濯はわりと好き(遅延があっても全自動で行動の結果あきらか)、干すのもマメにやる(しないと洗濯機の中で服が腐るという、わかりやすい負の強化ぶくみですが)、しかし、アイロンがけはほとんどしませんでした。イチロー選手も同じことを言っていたと記憶します(もう10年くらい昔ですが)。

 アイロンかけは、本来、行動産物的にも達成感があるポジティブな事態のはずなんですが、何が嫌って、アイロンは、作業が終わっても、アイロンがしばらく余熱を持っているので、どうもそのまますぐに外出とかが出来ない(心配性)。そういう行動制限が嫌なんですね。いつでも好きな時にすぐに移動できないと気がすまないので、こういう制限はすごい嫌悪事態。

 脚の長いアイロン台は、写真のように、アイロンを床から高い位置に保持しておくことができるので、その場を離れやすいという利点があります。床に直接アイロンを立てて放置する、っていう、これまで作業の途中でも後でもすごく気になってた状況がないのでうれしい。そういう意味では、アイロンの本体にも、もっと簡単なキルスイッチが欲しいです。アイロン行動のバリア・フリーはこのようにして(少し)実現したわけです。たくさん作業ができたのは、科研費の書き直し行動の回避行動であったようにも思いますが。なんであれ、これまで手でたたんでいたハンカチが、これからは筋目の入ったものとなります。ワイシャツも少しやりました。背中は裏側から、とか基礎知識もありますし。
 しかしウールのズボンって、前後のラインの位置がどうもうまく両立しない。本来、論理的にはそんなことないはずですが。学生ジョブコーチの面々で、ズボンのアイロンの課題分析表を持っている人は送ってください。