バリフリ心・コミュペ

marumo552009-11-20

コミュペによると、「わが指のオーケストラ」も「遥かなる甲子園」も「どんぐりの家」も、実は読んだことのある人が沢山いる人がわかりました。実家にありました、というのも含めて。授業中、「わが指・・」の聾学校は、日本最古じゃないかなどと適当なことを言いましたが、それは違うのではと、法学部の聴講学生氏からあとで指摘いただきました。すいません。最古はおとなり御室の現府立聾学校が、明治11年(1978年)「日本盲唖院」として開学。これが障害児教育発祥。「わが指・・」の学校は、大阪市立盲亞学校で、これは明治33年(1900年)に私立大阪盲唖院として開校です。

コミュペから。
●「私も実は愛知県出身で、愛大のすぐ近くに通ってました。電車に乗ってると手話で話しをしている人を見かけたので、近くにろう学校や施設があったのでしょうか?」 
愛大の車道校舎の近くだったら千種聾学校ですね。

●「遥かなる甲子園の話を聞いて、思い出したのだが、横浜ベイスターズ石井裕也投手は先天性の難聴である。・・・」 
サイレントKと呼ばれているんですね。

●「構造主義レヴィ=ストロースについて大学に入ってから色々と調べてきました。・・・
ものには名前がないことの理解が、ものの名前の理解につながるというのも構造主義的発想を経て初めて生まれるものだと思う。」 
論文のほうも眺めてくださいね。http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/mononiwa.pdf

●「いずれ健常者である私達も、障害のある人々が用いる共通語、コミュニティ内でのみ通用するコミュニケーション手段を学ばなければならないと思うのですが、これらの共通言語は一元化されるでしょうか。」
   この質問は、愛知県コロニーで、聴者である施設利用者や職員に手話を教えるという実践の話を聞いての質問だと思います。同じく、手話を基本に考えるのはやはり難しいのではないか、という質問もいただきました。一元化されることはないと思います。コロニーで、聴者である利用者に手話を教えたというのは、重複の障害のあるろう者の人が口話を学ぶよりも、聴者が手話を学ぶほうが容易であろうという判断です。多言語の人たちの共存が一般的目標だと思います。

●「先月、いこいの村栗の木寮に行く機会がありました。まさに聴覚・知的障害があり、教育のはざまにおかれた人たちが高齢期をむかえ・・・」
  私も数年前に見学させてもらいました。季節も今頃かな。授業中に紹介した愛知県の全県調査にもあったように、20年ほど前は、そうした人たちへの系統的支援の方策はまだ未整備でした。しかし、言語ということに限って言っても、その学習は「遅すぎることはない」というのがコロニー時代での実践結果からの信念です。ただ「言語学習」ということが、当事者のQOL向上にどれほど意味があるか、ということが大切です。これは、QOL向上に役に立たなければ言語学習や支援は意味がない、というのではなく、言語学習が意味を持つような日常環境の整備ということを常に考える必要があるということです。コロニーでの実践も「言語訓練」というミッションで始めたわけですが、その経過においても、いきつくところは「生活の中に選択肢を増やさないといけない」という結論です。

●「バリアフリーの心理学という学問が、実際の対人援助に役立つものにするには、どうすれば可能になるかを知りたいです」
 バリアフリーということばは、これがひとつの独立した学問かどうかは別として、対人援助のためのひとつの手段を表すものであると思います。ま、そのわりには、表現モードがどうのこうの、といった話をして、それは一見、極めて「基礎的学問」みたいに聞こえるかも知れませんね。「役立つものにする」ということについては、これまでの話の中で、直裁に、スロープをつけただけじゃなくて利用頻度も見ること、みたいな話もありますが、一方、最近お話をしている携帯電話やらそれにまつわる言語表現の問題からは、当事者に対してわれわれが想定する「バリアのない状況」の実現に対して、どういう目標設定をすることが妥当なことなのか、あるいは新しい援助設定を加えるにしても、その効果をどういうロジック(原則や解決法の道筋)で予測したり評価できるか、ということを考えてもらいたいのです。もちろん考えるだけでなく今後、あらゆる機会にそのような方法で問題解決に臨んでほしいのです。今、重複障害のあるろう者への対応を例に話をしていますが、みながこの分野に理解を示したり、実践できるようになることを期待しているわけではありません。対人援助の実践は個別にはみな応用問題ですから。