トウキョウ・ソナタ

marumo552009-12-19

 朱雀シネマ講座、12月のシリーズ「親密だから見えないこと−羅生門的現実を生きる」の第二弾、トウキョウソナタ(監督、黒澤清)の解説(?)を、上映後、中村正さんとやりました。
 これまで「チーズとうじむし」「休暇」ときて、今回の「トウキョウソナタ」だったんですけど、どうもいまいち中村さんの突っ込み呆けられなくて、だんだん寡黙になっちゃいました。
 お父さんリストラされたけど家族に話せず悪銭苦闘、長男は勝手にアメリカ軍に従軍して平和貢献、次男は秘密にピアノ練習、おかあさんはドーナツづくり、という、「ばらばら家族」という設定で、キャッチフレーズも「ぼくんち不協和音」といかいうのがあったそうな。
 
 寡黙になってしまった、というのは、壇上で椅子に座った挙げ句、寡黙じゃ困るんですがアマチュアの甘えでした。ごめんなさい。ま、言い訳するですね。まず、なんだかんだ不協和音といっても、ひとつひとつのエピソード内容をとっても、別にそんなにびっくりするようなもんでもないし、これで家庭崩壊と再生とかいうプロセスも特に感じないしなあ。。。とか。身につまされる部分が多くて、寡黙になっちゃったという態度をとっちゃったんですけど(逃げですね)。

 羅生門的現実とか、家族間のうその問題とか、いろいろ予め考えてはあったんです。シドニーウィリアムスの「暑いトタン屋根の上のネコ」(ちょうど少し前に衛星放送でやってたんですけどな)の中の「ひとは人生の偽りのプロだ」とか「真実、真実、って、うそより汚い真実だってあるじゃない」とかエリザベステーラー扮する嫁さんの叫びとか、色々ネタは仕込んではあったのです。
 冒頭の窓の外の風邪とか、雨で家の窓を開けるの閉めるの、オープンカーで泥棒と逃避行しそうになる、とか、ディテイルに様々なメタファーが隠されてるんじゃないか、とか、ま、なかには主題(もしあればね)なり、全体の空気をあらわすものがあったのかも知れません。そんな話題も、対談中も終わった後の雑談でも色々と話に花が咲いてましたけど、正直、ぽけっとみていた私には、おとうさんのリストラにうすす気づいていてそうなのに、免許もとったしその延長の営みとしてのデイーラーで車を値踏みしていたおかあさんが、マーチカプリオレをディーラーでみつけて、でも別世界の車よね、という感じだったのが、泥棒に「自主誘拐?」される、少しランクの上の(少しってとこも計算ずみか?)自由の象徴ラテン系(プジョー)のオープンの屋根あげてドライブするといった部分には、まあ、そのまんまの話だけど、おかあさんの「もう、このさい、どっかに行っちまうか」の「やけっぱち冒険」の気持ちが見え隠れする、といったところまでを感じるのがせいぜいでした。

 ま、そんなことはどうでもいいんじゃないか、羅生門的現実とかから見ようとしても、むしろ、この程度の嘘や秘密は、ごくごく普通の家庭じゃないか、これがこんなに作品として採りあげられちゃうのって、この黒澤監督って、もしかしてあんまり人生の修羅場とか知らないんじゃないの?って、そこまで上から目線になちゃったのかも知れません。単に、こちらが元気がなかっただけかも知れませんが。
 エンドロールの背景に流れる、ピアノ発表(入学試験)の後かたづけの音を聞きながら、なんとなく日常の人生を考えてみる、そこで、もう評論の気持ちが心の中にしみこんで、それでいいんじゃないかと、自己弁護。