あけましておめでとうございます。

marumo552010-01-02

 みなさま、あけましておめでとうございます。 

 前回、年男になった正月には何をしてたか。やはりそれどころではなかった年だったのか。ちょうど京都に来た年にあたりますか。
小学校の高学年くらいからこのかた、正月はひたすら忙しくて宿題をやってたような気がします。

 今年は一日に江戸に下って2日にはもう再上京。新幹線から三河安城あたりで大雪で徐行運転で、母が居る府中の施設についたころには、ちょうどおやつの時間になりそうで、持参したマンゴプリンを二人で食べました。あいかわらず私のことを「お父さんでしょ」と確認してくれるんだけど、そこで悩むんだすけど、そのこととは別にほんとにいつも「美味しい」といって食べてくれるのが救いです。
 ところで母親の施設の部屋にある水道が自動出水装置になっていてのですが、蛇口の下に手をだせば一定量でる、かと思いとそうでもない。蛇口の下からさわると出るのか。出ることもある。でも触らなくても出ることもある。これは幾多の迷信行動を簡単につくりますね。これは、人間で「迷信行動」の形成の実験に使えるのではないか。正面の鏡をマジックにして、蛇口の水道の出水を裏から操作して、果たしてどこまできてれつな踊りを行動形成できるか、この実験も卒論研究でできるのではないか、と頭をよぎる。
 
 いくつもの私鉄に乗り継ぐんですけど、ここはひとつ優先席に最初に座ってみるというチキンレースにも似た度胸試しを決行。親子づれで子どもが結構います。小さい子の場合は「小さいうちから運動神経をみがくべし」という理由で死んでも譲らず。子どもが幼稚園くらいになってたら譲らない決心は固い。
 最初の試金石が来ました、それは若いパパが背中でなくお腹の側に赤ん坊をひもで抱いているという人が、至近距離にたつ。若い男だし、ねんねこを前にする、というおしゃれなスタイルだし、これもパスだなと思ったんですけど、反対側に優先席に座っていた、わりと年齢の高い(私+少し上)、それでも結構元気そうな男性が譲った。んんん、しまった。
 あとで気づいたんですが、「高齢者」および「身体に問題がある人」に加えて、「乳幼児を連れている人」というのが、その車両に図解つきで指定する優先者だということに後で気づきました。妊婦であれ乳幼児を連れた女性であれ、女性には譲ったでしょけど、男だという理由では譲らないという、ジェンダー差別があるんだなという、自分の固定観点にわれながら少し意表をつかれた。
 席をすっと譲るのは、若い人ではなく、むしろ50代60年代の男性に多いのではないか、というのが数少ないサンプルではありますが、統計的に多いのではないか。今年はそのあたりの実験・調査もありえるかも。だからどうたというわけでもないのですが。
 
 ただ50〜60年代の男衆が席を譲るそのやりかたやお礼に対するフィードバックは、なんとなく「ためらい」や「躊躇」や「てれ」ってなものがないですね。これは、要するに、ダンスを誘ったりドアを女性に譲ったりといった人間関係の百戦錬磨の歴史の結果か?

 今度、電車に乗ったときは、明らかに横に若い奴が座っていたとき、目の前に高齢者がきたとき、「君、譲って差し上げたら?」って言えるかが、次回のチキンレースの課題だな。


 写真は私の家の庭の中にあるような場所にある仁和寺の五重の塔。