介護(その1)

marumo552010-01-16

 先週、久しぶりに立命でも連休(いや土曜日は月曜日でした)という日曜日と月曜日に東京(正確には八王子)に行っていました。府中の介護ホームにいる母親が“誤飲(誤嚥?)”で容態悪化、現在(その時点では)救急車で搬送中だが受け入れ病院がまだ決まらないとのこと。契約病院があったはずなのに容態が悪くなっても搬送先が決まらないとは。その後、介護ホームからは随分と離れた病院に着いたという連絡を受け、とりあえず新幹線に乗るべく京都駅へ。
 
 途中、大学の周辺でのお葬式もことさらに目につき、ああ、この季節は高齢者には厳しいものと思いながら、最悪の事態も想定しつつ、タクシーに銀行へ寄ってもらい幾ばくかのまとまった現金を抱え新幹線改札へ。チケット購入時に、妙に料金が高いなと思ったがそれどころではないので改札へ向かったが改札でストップ。乗車券と新幹線特急チケットの2枚セットのはずが2枚とも乗車券渡されていてその分値段が高かったと判明。こっちが焦っていたのが予約窓口の人にうつっちゃったのか。常ならず、まったく腹も立たずこちらも妙に恐縮する。

 新幹線新横浜から、横浜線、タクシーと乗り継ぎ、お昼過ぎに八王子からも少し離れた新興住宅街にある小さな病院にようやく到着。さいわいに「誤飲」による容態悪化はだいぶ改善していてやれやれ。しかしその病院は、認知症患者の入院には家族の付き添いが必要で、長期戦もありとの覚悟で、たまための連休なのでまずは自分が看護すべし、ついでに仕事もせんと張り切ってPCも持ち込んでのお泊りを同じく駆けつけていた姉に宣言。
静かな個室で、ときどき母を看ながらあとは一晩中さぞや仕事もはかどるだろうと、たかをくくってスケジュール調整をしていたがさっぱり仕事できず。モバイルの調子もいまいちで、すぐに切れてしまうし。

 ああ、少なくとも丸二日こうして時間がつぶれてしまうのかと、いつものように最初から一人愚痴の状況になりかけたものの、そのとき何故か、ふと、ああ、いつも、いつも、この調子で仕事にかこつけては認知症になってしまった母に正面から付き合うことを避けてきて、今回のこれは神様が親不孝息子に割り当てた機会なのかと腑に落ちる。であればこれはじっくり母と向き合うべしと、数分ごとに繰り返される母の「へんなの、へんなの」に、まるで初めて訊かれたように精一杯対応してみる。

 数年前までは、しばらく説明したあとで息子(わたくしのこと)がいたこと、わたくしがその息子であることを、少なくとも一時的には納得してくれていたものの、昨年からは夫になり、今年はもうすっかり母の父親になってしまった。これについては時間をかけてでも説明訂正すべきか、そのまま父親になりすますか。このときまでは、前者を選ぶべきと信じていたものの、さすがに、というか、もしもこのまま、との思いのなかで、父親で通すと心に決めた。父親が病気の娘にするであろうと思われるような態度で一貫してみる。ここでそれなりに平安が得られたかな、と思ったものの、真夜中に母から一言、「ほんとうはわたしのお父さんではないでしょ」。

 嘘は難しい。