修論口頭試問おわり

marumo552010-02-09

 修士論文の口頭諮問、本日で無事終了。これから鬼のように判定書類を作成しなければ。
ま、しかしとりあえずみなさんご苦労様。それぞれに労作といえば労作でした。労作だけでなく秀作もありました。いずれにせよ、対人援助学会でこそ発表がふさわしい内容のものもたくさんありました。修了生の諸君、今年も11月6日(土)に、立命館大学で第二回対人援助学会を開く計画をたてています。昨年は日本心理学会もあって、なかなか忙しかったですが、ポスターセッション会場の熱気は他の学会に勝るとも劣らなかったですね。
 
 現在、急ピッチで学術雑誌「対人援助学研究」の編集方針や査読マネジメントの計画をたてているところです。3月中には、投稿の手引きなども、ホームページに載せる予定です。今回修士論文の口頭諮問を受けた諸君も自らの研究について「信じるところ」をぜひ投稿してくだい。

 「対人援助学研究」は、既存の二人称的科学としての「応用行動分析学(ABA)」などととこが違うのか? 今日、ナラティブやらエスノグラフィーといった方法も、用いられていており、これは一見、行動分析学での方法とは対比的なところにあるようにも見えます。片や独立変数を「決めておき
」、目標行動としての当該の行動(従属変数)の推移をみるというものです。

 さて、今年の修論では、応用行動分析の方法で、シングルサブジェクトデサインを用いて、きれいな定量的な変化だけを示すというものが目につきます。もちろん、それができることは喜ばしくもあり、応用行動分析の研究として一定には成功なんであって、去年までだったら良くできました、のたぐいの研究なんですが、どうもそれではものたりない。それは、当該の作業について時間をかければ充分に適応したということにしがすぎません。ジョブコーチの問題にしても、教員の生徒の行動変化への記述にしても、あまりに定義された行動の推移のみを図表化してものについて、どうもしっくりこない。これは、たぶんある種の課題がある介入で解決しました(改善しました)、という風に完結した課題の設定だけをお皿の上に載せただけで、その後の将来に向けて、もうひとつ希望を感じるような表現ではない。課題解決の際に、その課題の解決のために「少し環境をわざと変えて課題にあたる」あるいは「自らの課題遂行に対しての言語的表現が出る」といった、当初の課題解決の枠を超えて(あるいは当該課題の解決の中で予想もしないような)解決方法を、対象者自らが自律的に自発していないかどうか、といった部分についてあまり書かれていないせいではないだろうか。

 確かに、デザインを組んで当初の計画どおりの変数を導入して、それによる従属変数の変化を追跡する、という作業が、対人援助作業における二人称的関わりの記述としてはまず必要なものなのですが、どうもここ1年あまり、そういうデータの見せ方をされてもものたりなくなったんですね。これは、例のキャリアアップということが、同じ課題解決をする行動の中にも、なにかその萌芽行動のようなもの(ときには課題のお約束を破壊的に逸脱する)が、端々に出ているのに、それについてデータとしては捨象しているように見えるわけです。

 例を挙げれば、ジョブコーチの課題遂行の指標として「作業自立立」といった、課題分析中の何パーセントが完成したか、といった表現でグラフをつくりますが、実はそのパフォマンスと同時に、課題についてのタクトや、教示供給言語行動や、はたまた物理的環境設定の変更を対象者みずからが表出している場合があります。
 これらは、ノイズのように扱われることもあったのでが、今は、幸か不幸かVTRという道具があり、詳細にそうした付加的な反応の意味や機能を探っていくことができます。
 行動分析学と対人援助学を対比的に考えて、後者の特徴を語るとすれば、対人援助とは家族や施設スタッフの次なる作業支援を明確に示すことのできる、つまりは、「::::があれば、:::ができる」といった表現を、より一般的な情報移行の材料として使えるように提示するってことですかね。