昭和の日、平成の子

marumo552010-04-29

 本日「昭和の日」は大学開講。昨日は学部ゼミの歓迎会。今年も新3回生を迎えることとあいなりましたが、これで4回生も含めて、ほぼみな平成生まれとなりました。

 自分が元号の変わり目の年のあたりで何をしていたかといえば、
●望月昭・野崎和子・渡辺浩志(1988年、「聾精神遅滞者における要求言語行動の実現」(特殊教育学研究,26,1-11)。
●野崎和子・望月昭・渡辺浩志(1989)、「聾精神遅滞者のコミュニケーション行動に関する実態調査」、特殊教育学研究,26(4),33-42.
●望月昭(1990)福祉実践の方法論としての行動分析学社会福祉と心理学の新しい関係−
社会福祉学、30,2,64-84.
 
 という具合に、コロニーで「ひとりパラダイムチェンジ」してた頃ですね。最初の論文のタイトルの「要求言語行動の実現」というのが、「・・の学習」でもなく「・・の獲得」でもないところがミソなんです。要求言語行動(mand)は、当事者の「能力」として身につくものではなく、聴き手との協働作業としてしか「実現」しないものであるという表現です。当初はそんなこと考えてなくて、ひたすら「同化-統合」路線だったのですが、ここで一気に「社会モデル化」していったんですね。2つ目の論文では愛知県下の成人施設の前件調査で、「聴覚障害と知的障害をあわせ持つ」成人を主な対象として、「コミュニケーション」の成立について何か施設が工夫や支援設定をしているかどうかの郵送調査および直接インタビューをしました。ここで要求言語行動はもとより「コミュニケーションを必要としない居住環境」の中で、いかに当事者の言語行動は、はかなくも衰退していく様子を実感。そして3つ目の論文で、行動福祉学の提案となったという、まさに個人的な「季節の変わり目」でありました。そこからは、同じ理屈今に至るまで殆ど新しい発見がないのがふがいないんですけど。

 ちなみに昭和から平成へと移行したあの日あたりは、東京で学会があって、皇居に記帳に行くの行かないので少し悩んだな。夕方頃、ホテルから抜け出してちょっと見に行ったような。
なんかコソコソと行ったという記憶があります。今だったら違う感性のもとで堂々と行ったと思うのですが。

 そのちょっと前、コロニー研究所の悪い仲間たちと新元号を当てるという秘密ゲームをしていてそれぞれ紙に書いて投票箱に入れたりして。実はわたくし「へいせい」という予測はしてたんですけど字が違って残念賞だったな。「平和」という概念は入るだろうと思ってたんで、「平」は入れてたんですけど、「成」が、「斉」にしてしまったか「静」にしてしまったか・・・。一番、多かった元号は「明和」でしたね。たしか。