矢野顕子「音楽堂」

marumo552010-06-25

 25日(あ、もう昨日)の夜、11時から矢野顕子のアルバム「音楽堂」が出来るまでのドキュメント「18年後のスーパーフォークソング」(NHK−BS2)見ちゃいました。

 わたくし、最初に買った彼女のレコード(もちろんアナログ)は、たぶん「長月神無月」(1976)で、もう今から30年前の話。大部分の学生諸君は当然ながら生まれてないころですな。いやあ、当時、最初に聴いた(あるいはテレビで観た?)ときは、ほんとにびっくりしました。彼女みたいな人を天才っていうんだろなって思いました。当時まず思ったのは、「『絶対音感』があるってこれか」っていう感想です。彼女のピアノの音と音声の関係に、なんかこう「寸分の狂いもない」一体感みたいな(なんかよくわからんですが)、弾き語りって簡単にいうけど、伴奏者と歌い手という2つの役を一人でやる、っていうんじゃなく、ほんとに最初からピアノと歌が同じ「発生源」から出てきているような、言ってみればピアノが体みたいになっている人(月並みな表現ですが)ってんですか、そんな感覚です。

 その当時、バイトで行っていたK保育専門学校(日光街道沿いの当時はすごい田舎。東京から車で1時間半)の講師仲間に、知る人ぞ知るT先生っていう音楽家がいて、この夜学の帰りにお互いの家が近かったんで、よく車でお送りしてたんですけど、その道中に、音楽教育とはなんたるかという話やら、ハンガリーの音楽教育(その先生はそれの専門家だったような)とか平均律がどうのとか絶対音感がどうのとか、「へえ、なるほど」な話を承ってたんですが、曰く「日本の歌手で、それができるのは(何ができるんだか詳細は忘れた!)、北島三郎都はるみだけよ」ってそれだけ覚えてんですけど、そのときの「できる」が、当時の矢野顕子の「これが絶対音感か」っていう感想につながっていったんだと思います。(なんかよくわからなくなってますが、上記の話の「辻褄」に心あたりのある人はコメントください。断片的には、「音楽教育は最初から鍵盤楽器でやっちゃだめなのよ」みたいな話しも覚えていますがそのヒントでわかる人いますか?)。

 今回の番組では、それまでずっと彼女の収録エンジニアをしていた吉野金次さんが、脳溢血で倒れてずっと延期になっていた新譜の録音を、氏が矢野顕子らの支援も受けて回復(といっても、車椅子で主に右手しか動かせないけど)して、ついに「音楽堂」のアルバムの製作が完成するまでを、その間のステージのビデオクリップも紹介。
 久しぶりに、矢野顕子のステージを見ちゃいましたが、やっぱりすごいですねえ。ピアノと声の合体音としての彼女の独特のフレーズというか和音とかの作り方って、なんかこう、あらためて根源的音世界ですよねえ。こころもち、バルトークとかコダーイとか、あっち系のユニバーサルサウンドかっていう感じです(前記のハンガリーの音楽教育参照。ただし辻褄は不祥)。彼女って、青森の出身じゃないですか。井上陽水をはじめとした「他の天才」は(偏見に満ちて言えば)福岡とか関西圏より左のほうが多いような気がすんですけど、そのような、人も歌手も多くて社会的随伴性にさらされてきたのと違って、青森ってとこが、やっぱ「絶対音感」だなあって思ったりして。ま、高校は青山だったみたいですけど。

 収録のあと「また目標が先に遠のいた感じ」ってなコメントをおっしゃってましたが(あ、もう敬語)、目標が現実よりすでに後にあるような(「残りの人生をクリンチでやり過ごす」by T垣先生名言)ような我が身にひき較べてもうホントにすごい話。思わず、明日は朝から勉強しよ(仕事しよ、じゃなくて)と思ったくらいです。
amazon大人買いしちゃった(そこがもうクリンチの世界か)。