佐藤方哉先生

marumo552010-08-23

本当は9月5日にこの日記を書いています。8月23日のこの日に、恩師である佐藤方哉先生が他界されました。最初の訃報は、秦皇島のホテルの部屋で24日の朝、Mutto先生からの携帯電話によるものでした。とうてい現実とも思えない内容に、まともにお礼も言わなくてMutto先生ごめんなさい。

 佐藤先生には、約40年前、学部2年で心理専攻に進学(進級?)して以来、延々とご指導いただき、かつご迷惑をかけてきました。愛知県コロニーに就職したときも、現在の立命館に異動したときもお世話になりました。
 現在の立命館の移動に際しては、ある日、いきなり電話で開口一番「立命館の人事はお前で決まっているのか?」という詰問に近いご質問。立命館で公募が出ているのも知らない私には、えっと、なんのことやらだったのですが、立命で「基礎と応用の両分野で行動分析学を研究している者」といった条件(原文忘れましたがそんな内容だったと思います)で公募が出ているんで、てっきりお前を想定しての人事と思った、とのこと。本当にありがたいお言葉です。もちろんそうではなかったし、わたくし自身、東京以外への移動はあまり考えてもいなかったのですが、結局、そのお電話で、あまり深く考える暇も覚悟もなく、成り行き上「わかりました。応募します。はい絶対に」とお応えして、そして今日に至っている次第です。あのとき電話を頂かなかったらきっとまだ愛知県コロニーにいたことでしょう。
 ひどく成り行き任せの展開のようでもありますが、70年代、佐藤先生(あるいはそのグループ)の人生観(行動観?)は、「コンティンジェンシーのまにまに」、そして「他人の決める人の道」というまさしく「自由と尊厳を超えて」の世界です。それに私は愚直に従ったというわけです。その意味で私は身を挺して師の教えを実践してきたと言えなくもありません。


 お通夜では、久しぶりに同級生や先輩・後輩と会って話しができました。必ずしも、行動分析学を専門にしてきた者ばかりではありません。しかし皆、一様に、先生から大きな影響を受けたと述懐。それは本当にそうです。わたくしの場合は、とりわけ学部の3年生のときの「行動とawareness」の授業でした。先生は、授業の前日、徹夜をして関連文献を読まれて紹介してくださいました。学期の始まる前から、毎週の授業内容がシラバスに記載されていなければいけないという最近の状況とはまったく違います。前の日の夜、先生が読まれた論文が、翌日、即学生に紹介されるという「臨場感」がありました。黒板に表記されたその何本かの論文を、同級のK君と、改めて全部読破してやろうと勉強したのが、一生のうち、もっとも勉強した経験だと思います。なんか師匠が追求していることに、タイムラグなしに懸命に着いていってるんだ、という達成感がありました。


 書き出せばきりのない師の恩です。以下に、師匠を中心にキャラも才能も溢れる先輩や後輩のグループに混ぜてもらって私も参加した当時の研究の一部をリンクします。

樋口義治・望月昭・森山哲義・佐藤方哉(1976)「刻印化・同一化・社会化−トリはトリらしく、サルはサルらしく、ヒトはヒトらしく−.心理学評論,19(4),249-272. 
http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/hyouron1976.pdf

樋口・望月・山口・佐藤(1979)「オペラントライフの視点」.三田哲学,96,67-89.
http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/tetsugaku1979.pdf

Mochizuki, A. and Sato, M. (1980)  Human Performance of FI Reinforcement Schedule: The Effect of FI Performance on Time Counting Behavior, Hiyoshi Report, 11, 68-74.
http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/hiyoshireport.pdf

望月昭・藤田勉・佐藤方哉(1982) 「日常行動のなかのスキャロップ」,慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要,22,  http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/FIscheduleHuman.pdf



 秦皇島で北京で、応用人間のスタッフのSさん、1年先輩のY国大のHさん、同じくA大のHさん、同窓生のS女子大のK君など、携帯やメイルや留守電で続々と連絡をいただきました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。