他立的自律

marumo552010-09-03

 「コミュニケーションを考える」:継続的キャリアアップを実現するためのコミュニケーション支援(小学部から就労までのシームレスな総合支援)と題して、熊本大学教育学部附属特別支援学校主催の講演会に行ってきました。
 
 熊本は初めてだな、と思ってましたが、いざ行ってみたら、10数年前(?)ころ、特殊教育学会で来たような。翌日、熊本城に連れてっていただいた際に、なんか昔(コロニー時代)の同僚だったW先生(現、W国大)と天守閣で会話した記憶がよみがえりました。まだらですけど。
今回のセッションは、これもだいぶ昔、久里浜の特総研の研修(このごろ、さっぱりお呼びが、かからないな(笑))でお世話になったH川先生が現在、熊大の教授で附属の校長先生になっておられて、かつ数年前、京都のK総合の研究発表会にいらして、私の「(忍耐が)きれた」コメントを覚えていてくださった研究部長のM先生のお計らいというご縁。


      きれてみるもんですね。
 

 今年の夏の、京都府の教員研修の頃から「自立的自律」ではなく「他立的自律」を支援の指針とするという話を試してます。「他立」でグーグルしてみましたが、こんな日本語はない(?!)。
趣旨としましては、社会の中で生きるわれわれの行動とは、そもそも殆どが「援助つき」で成立しているのに、「障害」がある個人には、ことさら単独能力で生きるという意味での自立を強要してないか、ということです。同様のことですが「自律=自立」という認識に対する批判です。そして、自立を焦るあまりに自律(自己決定)を損ねるという事実を、ここ数年の学生ジョブコーチの実践などでは繰り返し体験してきました。

 今年に入って、東京近郊の介護施設にいる母親が半危篤という状態が数回ありました。最近の例では、実をいえば、お寺にも事前相談したくらい深刻だったのですが奇跡の復活。すっかり痩せてしまったのですが、これが本来の理想体重だったのか、えらくアクティブ(特に夜中)になってしまいました。と、今度は、このアクティブさが問題になって、施設からイエローカードの宣告。「元気に夜中に歩けなければ・・」あるいは「元気に発声しなければ・・」問題ないんだそうです。
 
     「他立的他律」でなければ置いてもらえない??


  熊本のH先生、M先生、大変お世話になりました。半日おつきあいいただきました先生方、ありがとうございました。馬肉おいしゅうございました。熊本ラーメンおいしゅうございました。おみやげのお菓子おいしゅうございました。
 当日のPP資料は、http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/kumamoto100903.ppt です。