罰無き社会

 大学院のほうでの、行動分析学特論では、行動分析学の価値観ばかり最初にかためてうんざりしている人もいると思います。
 現在、さらなる価値系論文の宿題があたっている人もいますが、次回は、少し、基礎に立ち戻って、いくつかの行動分析学の基本ロジックを復習するという講義形式とするかも知れませんのでよろしく。週末までに必要な資料を提示します。

学部の応用行動分析の授業では、少し毎年とは異なるコンテンツも次回その3で紹介します。WEB-CTには、第三回のPPとPDFの資料、HPには(結局まだHPにも掲載)PPだけの資料をアップしてあります。
  http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/11ABA03.ppt に直リンクもはりました。

 さて、ビンラディンアメリカ軍の手で殺害されました。一国の軍隊がよその国へヘリコプターで侵入し、もう殺す目的をもって抹殺した、というような事実が平然と報道されています。「ともだち作戦」とか極東では援助行動をしつつ、その同じ軍が、ほかでは平然と当然の権利のように、一個人を(他の人間も巻き込んで)殺害する、というのはとても異様なことです。リビアへの空爆殺戮いったことも、日本を支援しつつ平然と同じ国が行ったわけですが、「あ、そういうお国の援助は、悪いけどご遠慮ねがいませんか」とか拒否できないのか。
 ビンラディンの殺害によって、米国を中心とした国民はさらなるテロ報復におびえて暮らさなくてはなりません。世界が、国を越境して一個人を名指して殺してしまう、ということがこんなに簡単に、またあたかも社会正義であるかのような名分で行うなんてことは、いままでこんなに安直に起こってきたでしょうか。イラクのときもそうでしが、リビアや今回の一件も、一方では、「ともだち」を助け、他方では殺人を堂々と行う、というのはやはり異様なものといえないでしょうか。
 「罰なき社会」(スキナー)を引用するまでもなく、罰と恐怖で他者を統制するという方法を国家間で行うなど、どうみてもそこからよりよき国際社会が生まれるわけがないことは明白。