文脈破り と 特論資料

marumo552011-05-27

行動分析学特論の資料4,5,6まで、HPとWEB−CTの両方にアップしてあります。
今年は少し「『問題行動への対処』という行動」について時間を割くことにしました。

 
 大学院授業で、出口光「行動修正のコンテクスト」と採りあげたとき、「条件性弁別刺激としての・・・」という件(くだり)で、コンテクチュアルとか文脈についての身近な例を示しました。吉田戦車のコミックにあった「カブトムシの足は何本ですか?」という質問にして、生徒が「理科で言う場合ですか、それとも美術で言う場合ですか」と質問返しをするという話に始まり、「日本手話」の中での文脈的構造、などなどです。

 それで、ちょっと思い出したのですが、あたかも文脈ごと相手をふっとばす言語として、愛知でよく聞いた「いかんでいかん」という表現。ネイティブの発話では「カンデカン」という実に金属音に近い小気味よい響き。この意味は、状況から判断するに、相手に対する徹底的な否定(「ともかくなにがなんでもイカン」)であったように思います。ある特定の人物に対する「いかん」という判断について、特定の行動を超え、そしてあらゆる文脈による挽回も許さない、もうアリの這い出る隙間も埋め尽くすように「いかん」で固める、といった感じ?
 
 そして最近、若い人(?)がよく使う、これもまた「文脈くずし」と思われるような表現がありますよね。
「いやいやいやいや(「いや」が4回連続)」ってやつですね。そもそも「いや×n」には、
 「いや×2」何か人からお礼を言われたときには、
  「いやいや。とんでもありません」
 「いや×3」何か功績を称えられたときには
  「いやいやいや。これもひとえに皆さんのおかげ」
 このへんまでは、否定「いや」を、謙遜・謙譲をこめて強調? であるからして、言われてもそんなに悪い気はしない。
 で、「いや×4」の場合なんですけど、経験的には、結局、このことばの聴き手の主張の否定、あるいは直前の聴き手の反論に対して話者があくまで自説を曲げないときに使ってるように思えます。「いや」を4回も言って、聴き手が「いったいどこの『いや』に文脈を合わせたらいいのかな」と迷わて、そっちに注意を払わせて、脇から逃げおおせよう、という、ちょっと卑怯な用法ではないか。要するに「煙幕はって空気よみにくくして」ごまかす?