「できること」と「すべきこと」

 今次の震災に対する支援や研究のための特別な予算が大学でも組まれ、予想以上のプロジェクトの応募があったようです。一方、国の予算についても歳出の見直しや増税の話も進んでいます。科学研究費についても、今年はすでに採択され継続中のものであれ、70%になるかも、という通達がきています。
 震災の被災者支援や復興のために予算をまわす事に異論はありません。学内の研究資金にせよ科研費にせよ数十年あるいはそれ以上にわたって枠組みが変わるということは、しかたがない、というより、むしろ、そうあるべきだと思います。
 応用人間科学研究科でも「10年という単位で長期的な視野で何を行うか」が議論され、研究や支援の計画が提出されています。「対人援助」という枠組みで何ができるのか。いわゆる専門領域的な観点からは、「心のケア」とか「支援者の支援」といったものがすぐに思い浮かびます。また実際そのような企画が提出されています。もちろんその事について反対でもないし、そうした枠組みの中で自分自身はいったい何ができるかとあれこれ考えてもいます。
一方、「単発ではなく10年単位で」という設定自身については私も強く主張したものではあるのですが、上記のような内容の「専門性に沿った内容」という事について、正直に言って、いまひとつ完全には同調しにくい気持ちもあります。
震災や津波やそして原発事故と並べた場合、「心のケア」といった場合、起こってしまったそれらの事象の結果としての「不安」や「病理」的状況に対応することは、もちろん大切かつ必要なことなのです。しかし「不安」をもたらしたもの、そして「不安」を現在も維持している要因は何であるのか。そうした基本的な因果を徹底的に分析し、根本から解決に向けて知恵と労力を結集するという、書いてみれば当たり前の、正攻法的戦略とその計画と手法について、どうして誰も言わないのか。もちろん未曾有のことだから言えないということもあるでしょうが、少なくともその事について、マスコミであれ、もちろん大学であれ、個別の課題のみでなく、そうした戦略を重視すべき、ということを、もっと主張すべきではないでしょうか。
大学としてすることとしては、もちろん一つとしてはそれぞれの専門性から「今できること」をするという考えかたはもちろんありでしょうけど、「今、何を優先して『すべきなのか』のロジック」を、誰もが当たり前の問題として議論し主張することができる人材育成をする教育をすることが、ほんとうは大学として一番大切なすべきことではないでしょうか。
 最近、当方も、キャリア教育とか「学習学」とか、障害者就労から大学院生までを射程に、あれこれと唱えてきたわけですが、ふと、キャリア教育における原点というのは、今次の震災への対応を考えたとき、そのような問題設定と解決戦略について発言し意見を表明できる市民になれる、ということでもあるように思います。
10年を単位に考えるという、中長期的に大学で考えるという場合、そうした根本的なキャリア教育の提案もありだと思います(採択されそうもないテーマですが)。対人援助というテーマも、基本的には「支援の倫理」のロジックの追求なんですから、この領域としての専門性として考えた場合でも同様のように思えます。

 

 そうした事を、つくづく考えさせてくれた動画が以下です。
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&v=eubj2tmb86M
 衆院厚労委員会での児玉龍彦参考人のスピーチです。大変な事実が公表された、という意味だけではなく、「できること」ではなく「すべきこと」について、これほど事実(データ)をもとにロジカルに、そして渾身の力を込めたスピーチに感動しました。児玉氏の言う対策のためであれば、科研費の予算を削られても何の異論もありません。というか、是非そちらへ使って欲しい。
このyoutube、Tさんが教えてくれました。ありがとうございます。