自立的自律?他立的自律?

marumo552011-10-15

 前回の授業(第3回)では、自立・他立、自律・他律の組み合わせ(2×2)の問題について、電動車椅子のライディング練習を重複の障害のある生徒に行った事例をもとに、お話しました。
 コミュニケーション・ペーパでは、特に指定したわけでもありませんが、ざっとカウントしてみると、91人のうち、74人の人が、めざすべき状況は上記の組み合わせについての意見表明でした。
 授業の最初のほうで、挙手によって、どの組み合わせを目指すべきか、について選択してもらいましたが、あのときは「自立的自律」と「他立的自律」がほぼ同数に近いような印象でした。そしてコミュニケーション・ペーパによる表明では、上記74名のうち、「他立的自律」が45人、「自立的自律」が11名、「他立的他律」が1名、「明確に表明できない」が17名という内訳になりました。この問題以外のコメントでは、コミュニケーション(主に「援助者」と「非援助者」のあいだの)についてのものが9名、そして、ほんとに「その他」の人が8名という具合でした。
 正直に言いますと、授業中には「他立的自律」に向かって「誘導的」に話を展開したつつもりだったんですけど、その割りには「自立的自律」を選択した人が多かったという印象です(同じ印象であった旨をコミュペに書いてある人もいました)。
 ま、しかしながら、このように「票が割れた」ことは非常にうれしくもあります。授業内容について、echoic(模倣言語行動)な感じで同意するのではなく(ともすれば教員はそのことを歓迎しがちでもあります)、「ちょっと待てい!」的に自らの意見を表明してくれたことは、改めてこの問題について、当方に検討の余地を与えてくれました。

 コメントの例
●「・・哲学的、倫理学的に言うならば、生命が存在している時点で、自立的自律はありえないのです。また私は他立的自律が理想であると考えます。・・・・」
 ★これはもう論理と思想で「ばちっ」と判断。
●「・・例えば目の見えない人がガイドと一緒にマラソンをするのは自立的自立(原文まま)だと思う。私たち健常者だって、走る時とか靴をはいたりする。つまりガイドは道具的な物だと思ってみると、自立的自立(原文まま)なんじゃないかと思った・・・」
 ★援助者=道具になれば、それは自立(and自律?)である、という考え方ですね。
●「・・・ただ、障害のある人を職場で受け入れるとき、助け合いながら仕事をするとすれば、助けることの負担の程度がおおきすぎるのではないかとも思う。理想的なあり方としては、他立的自律は良いけれど、実際の場面では必ずしもその考えを通せるかというと疑問である。
 ★来る11月12日(土曜日)に第3回対人援助学会が立命館敬学館で開かれます。基調講演で、障がいのある人への就労支援をテーマに秦政先生が講演されます。是非、参加してください。
●「・・・しかし、私が思う真の人間・人生の目標は、自然状態で本人の判断をベースにし、どんな邪魔もなく、自分の力で行動することだと考えます。・・・(中略)・・・人々が、お互いに援助しながら『自立的自律』に近い人生を遅れるように『他立的な自律』していく必要があると考えています」
 ★「お互いに援助しながら『自立的自律』に近い人生」っというのが、他立的自律かな。