ヘレン・ケラー、ランドマーク、機能

先週のバリフリ心のコミュペに、少しコメントします。
斜字の部分が、コミュペからの抜粋(必ずしも原文のままではありません)

●ろう者の人やろう学校との交流があったわけでもありませんが、小学校のころ、毎年、手話の歌の練習をした。手話をたくさん知っている人はヒーローでした。手話が「劣った言語」などという印象はありませんし、あこがれでした。幼い頃にできた印象は大切だなと感じます

 そのときは意味わからなかったとありますが、結果的にポジティブな認識を残すよい企画だったですねえ。

ヘレン・ケラーのような障害をもった人を援助するには、個別の仕方や柔軟な対応が必要である。そこでは個人別の“Profiling”が必要だと感じました。

そうですね。授業中に何度か繰り返している、ある種の集団に対する確率的プロファイリングについて、9.11あるいは3.11といった「事件」をとりあげつつ、批判的に考えてみようと主張してきましたが、ここでの“個人別のprofiling”という対応こそが必要だということですよね。
 ちなみに紹介したフィルムは劇場用映画の一部ですから、御本人ではないですからね。

●サリバン先生はヘレンケラーのQOLを拡大したわけですよね。

 ヘレンケラー氏の場合、サリバン先生の支援のもとで、「他立的自律」を果たしてこられたわけですよね。

●日本人は文字だけなら平仮名、片仮名、漢字、(英語)の4つを使うので他の国に較べた時、概念の共有値は他国より上で考えられる。強化の値が高い。

複数モードの意味を考える上で、重要な意見ですねえ。日本の新聞には、いわゆるルビがついていた、というのも意味が大きいと思います。全ての読者が(かなを知っていれば)新聞を音読できる、ということはなかなかに重要なことではなかったかと。昔から、日本では「文盲率」が低かったというのは、寺子屋といった教育的伝統のほかに、日本語の持つ特性もあいまって、そういう新聞のありかたも好影響を与えたのでは、と。

●(携帯電話静止画像を使って「居所報告をする」という場合の、ランドマークを送って先方に知らせるという事態で、)ランドマークは「聴き手(電話を受ける側)が分かるもの」という定義は、考えてみればあたり前のことなのに、授業を聞くまで思いつきませんでした。正直盲点でした。

 この場合のランドマークは、あくまでの特定の人どうしが、「落ち合うことができる」という「結果」(目的)に役立つかがポイントです。そういう結果を導く「機能」を持つ画像はどういうものか、という風に考えると、それはそのへんの野良猫を撮影して送っても役に立たない。では有名な建物を送れば良いのか、地域のコンビニを撮影すれば良いのか、電信柱の住所名を送ればよいか、というふうなアイデアが「ランドマーク」として思いつきます。しかし、結局、「何がランドマークとして機能するか」というのは、最終的に、これから落ち合いたいという「その相手」が、その画像を見て、発信者の現在位置を理解し、「わかった。その場から動かないでね」などと返信し、その場所に移動してくれる、ということで判断されます。視覚障害のある人が、自身は何も見ていなくても、その場で(あてずっぽうに)静止画像を送付し、相手にその画像があらわしているものがわかれば落ち合える、という場合が典型です。
 ま、普通はランドマークというのは、送り手も受信者も、両者ともに知っているくらい「有名なもの」、それを送れば両者で情報共有できる確率の高いもの、というふうに一般的には考えられます。でも、目的が「落ち合う」ということであるならば、あくまでも相手が発信者の現在いる場所を理解し、移動して自分の所に向かう、という「機能」を持っていることが大切なわけですよね。

●「機能」ってなんですか。何が出来て、何が出来ないかという行動のことですか。

 だいたいその通りでいいと思います。上記の、ランドマークの解説を参照してください。
さらに携帯の例でいえば、「お使いの追加物品や取り消し物品を携帯メイルで受ける場合、最初はメイルをするとそのつど開封してくれていたが、繰り返していくと、移動中には開封せず、買い物をする店に着いてからまとめて開封するようになる」といったエピソードも、メイルの授受がどのような結果をもたらすものか、つまりはどのような機能を持つか、ということを考えると、ごく自然にその機能にみあった行動が自発されるに至ったと考えることができます。
 そのことは、「着信に気づく」という行動でも同様で、着信の刺激(振動など)、開封(着信に気づく)、内容を読む、それに対応する行動をする、その行動の結果として好ましい結果が提示される、という一連の刺激と行動の連鎖について、そこで明確な結果を最後に配置することを繰り返すことによって、最初は意味のない騒音だった「着信刺激」は、次第に以降の行動を自発させる「機能」を持つに至るわけです。