奇跡の詩人2011

 「奇跡の詩人」も、教育や支援を考えるさいの、いまやクラシック教材となりつつあるようです。教育系の授業(K先生)でも観たという人が何人かいましたね。そしてビデオの主人公であるL君と自分は同じ歳だ、と表明した受講生も何名かいました。年年歳歳
 コミュペの単純集計です。出席者総数68名(あ、今までで最低の出席率だ)で、「自分も元気をもらいました」、「感動した」など、番組内でも紹介されていた集会参加者と同様にポジティブな感想を書いてくれた人が23名(33%)、「気味が悪い」「怖い」「可哀想」「母親の傀儡」など否定的な感想が29名(42%)、「判定不能」「もし本当ならすごい」などニュートラルな立場の人が16人(23%)。
 印象的なこといくつか。まず否定的な意見を書いている人の中に、ずいぶん「僕の心が汚いのかもしれないけど・・」「私の考えが、ひねくれているかもしれないのですが」「わたしはひねくれているから」といった前置きを記述している人が多いこと。前に旧型大施設のプロモーションビデオをみたときも感じましたけど、みな、誰かが「必死に努力している」ことについては、あんまり批判しちゃいかん、という抑制があるのかな。否定的感想で多いのは「母親が文字盤を動かしてるじゃないか」「本人眠っているじゃないか」。それと多かったのは、真贋はともかく、「父親は仕事やめちゃって大丈夫なのか?どうやって生活しているのか」「妹の生活はこれでいいのか?」というコメント。妹さんの話は、実は本日のビデオの後の方でも出てきます(時間切れで見せなかったんですけど)。確かお兄ちゃんの勉強の邪魔をしたら両親から「タイムアウト」(別室隔離:一種の罰手続き)かけられて泣いているシーンで、これを観たらさらに同様の「妹はどうする」コメントが増えたでしょうね。家族としてこれでよいのかということだと思います。「ビデオに撮影されていない過去や現在の対応が不明なので、このビデオについてコメントはできん」という「冷静で科学的な」コメントも、これも何人か複数の人でありました。同時に「科学」という枠組みでコメントしてはいかん、という方もいましたね。
 この番組については、「科学的な」真贋論争という枠組みと、「真贋論争批判」としての対人援助学的な枠組みがありえる(ほんとにあるかな?)と考えていますが、その内容については来年の授業で。