「はやぶさ」から「気仙沼信金」

 最近(2月10日)、京都市の北総合支援学校の研究発表会のパネルディスカッションで、自分の発表の最初のスライドで、「『原発』への対応と『はやぶさ』への対応」という謎解きみたいな画面を出して、「あってはならぬこと」と「なんとかなること」という大きな前提(覚悟)の違いが、新しいアイディアや闊達な議論を生む際に大きな違いを生むという話をしました。
 
 『はやぶさ』とは小惑星探査のあの『はやぶさ』です。趣旨は、支援における目標を「自立的自律」ではなく、「これ」があれば「できる」(なんとかなる)という“前向き”な「他立的自律」の文脈を選択することが、特別支援の支援においても、連携や情報共有という作業を創造的に展開しうる、ということが言いたかったわけです。前にブログでも紹介した「はやぶさ」のトラブル対処における「こんなこともあろうかと」(youtube参照)に典型的に紹介されたように、なんとここまで考えているスタッフがいたのか!というくらいのバックアップ体制やアイデアの提案が可能だったわけで、まさに創造的な「あきらめない」「なんとかなる」という、そういう共同作業の場の可能性を示したものでしょう。対照的に「あってはならぬ」という前提では、対策の提案や準備さえ自発しにくいのは当然のこと。

 
 パネルディスカッションのときには、司会の先生が「『はやぶさ』とは、宇宙探査の・・・」とあわててフォローしてくれたのですが、全国から来てくださったオーディエンスの皆様には「?」な感じだったみたいで、すいません。実は、ここのところ「生命倫理と対人援助学」というタイトルでちょっと考えていて、そんな文脈もあり、「闊達に議論しつづける」ことが「できる」ということが「倫理的行動」であるというストーリーを模索してたもので、つい導入に入れてしまいました。

 
 さて、その研究発表会の翌日、2月11日のNHKスペシャル「“魚の町”は守れるか〜ある信用金庫の200日〜被災地の信用金庫 密着200日」の放映がありました。気仙沼信用金庫が、地元の企業が事業再開に向けて、どういう仕事をしてるか、っていう密着取材なんですけど、ちょっと感動しました。二重債務になってしまう地元企業に、国の補助金(これは再建したら出すという後だしなんですね)を射程に入れつつ、いけずなメインバンクとの丁々発止の交渉をしながら、なんとかその再生を支援しようというその仕事ぶりは、ほんとにひとつひとつの壁をクリアしながら「なんとかなる」というより、自らの「自己資本率」(でしたっけ?)の低下による苦戦やリスクも承知で「地元企業と一緒になんとかしよう」という心意気がびんびんと伝わってきました。その気仙沼信用金庫の法人担当の人と理事の人ってのが、本当にかっこよかったですなあ。「地元の仕事の場を復興する」という、最も大切な復興支援というのは、このようにも行われているのですねえ。

 
 これからは、「原発と、はやぶさ」じゃなくて「原発気仙沼信用金庫」を例に出して、話を始めようかな、と。